弊社の柳井がいつもお世話になっています。
柳井から話を聞いたり、実際にサービスのフォローなどで御社に伺ったりするたびに、河西さんの人に対しての考え方、捉え方に温かなものを感じています。日頃のマネジメントにおいても同様だと思うのですが、今日はまず、河西さんのそうしたマネジメント観がどんなところで形作られたのかを伺いたいと思います。

三井物産創立以来育まれたリスクマネジメント・ノウハウを継承した総合保険代理店として、
グループの垣根を越えた幅広い分野で活躍されている
三井物産インシュアランス株式会社(1992年6月設立 損害保険代理業)の
河西陽一郎社長にお話をうかがった。
三井物産創立以来育まれたリスクマネジメント・
ノウハウを継承した総合保険代理店として、
グループの垣根を越えた幅広い分野で活躍
されている三井物産インシュアランス株式会社
(1992年6月設立 損害保険代理業)の
河西陽一郎社長にお話をうかがった。
弊社の柳井がいつもお世話になっています。
柳井から話を聞いたり、実際にサービスのフォローなどで御社に伺ったりするたびに、河西さんの人に対しての考え方、捉え方に温かなものを感じています。日頃のマネジメントにおいても同様だと思うのですが、今日はまず、河西さんのそうしたマネジメント観がどんなところで形作られたのかを伺いたいと思います。
うーん、マネジメントをするためにと、何かを特別に意識したことは今までないんです。もちろん、今のようにポジションが上がれば意識せざるをえなければならないことはあります。が、マネジメントする立場になるために、人に対してこうしなければいけないんだなとか、こうすることがマネジメントすることなんだとか意識したことはありませんでした。
ただマネジメント観というか、一言で言えば、自分自身が育てられた昭和時代の三井物産的な風土が好きなので、そういう風土を目指して実現してきたというのはあるかもしれませんね。
昭和時代の三井物産的な風土というと?
河西社長自分が経験して楽しいと思ってきたことです。年次の高い人たちが若手を育て可愛がる。仕事は仕事で全力でやって、夜は毎日のようにみんなで夜遅くまで飲みに行く。で年に2回は室全員がバスで社員旅行に行くような。もっと遡ると、同じく物産マンだった父が海外駐在していた時に子ども心に感じた、家族まで含めたオープンで温かな人間関係です。
時代が変わって、今はそうじゃないよと言われるけれど、僕がいるところはいつもそういうふうにしてきたんですよ。このご時世にそのようなこと言って大丈夫?とも言われるけれど、セクハラもパワハラもしていないし、何も強制していない。今、若い人から見たMIC(三井物産インシュアランス(株)=Mitsuibussan Insuarance Company)は、私にとっての昭和時代の三井物産みたいだと思うんです。
私たちも社内の飲み会に誘っていただいたことがありますが、みなさん本当に楽しそうに参加しておられますよね。
その時代を知っている人からは、河西のところはいい雰囲気でいいなあと言われます。そっちもやればいいじゃないかと思うけれど、自分がそういうマネジメントをしたいかは別なんですね。確かにある意味手間暇かけなければできないことですからね。でも僕自身はマネジメントがどうこうではなく、自分がやりたいことをやりたいようにやってきただけですけどね。
やりたいようにやられて、みなさんがそれについてこられるというのはいいですよね。社長になられてから今年で7年目ですか。
社長就任の前から、三井物産の主管部長として取締役を兼任していたので、その5年を含めると12年になりますね。関わり始めた当時は、三井物産の子会社ということもあり、部長、室長、支店長といった役職者はほぼ全員三井物産や保険会社からの転籍者でした。前任の社長から、そこをプロパー社員にどんどん交代してきて、私が社長になってから加速してほぼ全ポジションを入れ替えました。