30代後半、自分の強みに
限界を感じていた。
30歳までリクルートの関西で求人系営業としてがむしゃらにやってきました。営業力にも交渉力にも自信はあった、結構イケてる営業だったと思います。それで、新しいことに挑戦したいと欲が出て、社外との新規事業に手を挙げて東京に。その後もコンビニを活用した新規事業、情報誌のネット事業と手がけましたが、どれも2年ほどで事業自体がなくなってしまいました。それまでの自分の強みにも限界を感じた37歳、「これが新たに挑戦する最後のチャンス」と社内公募で組織変革を扱う部署に異動。そこで、コミュニケーションエンジニアリングサービス(CES)に触れました。他のサービスと比べても非常に価値があることは判り、自分のお客様にもコミュニケーションエンジニア(CE)を積極的に紹介しました。が、まさか自分が1年後の人事異動で、そのコミュニケーションエンジニアになるとは思っていませんでした。
しんどいけれど、
世の中の捉え方は確実に変わった。
38歳、CEになりました。CESの凄さは感じていましたが、自分自身で今から学ぶには専門性が高すぎるし、これで組織での出世もないと思い、もろ手を挙げては喜べなかったのが正直なところでした。初期段階の養成を受け、異動3ヶ月後に初めて自分で社内向けにプログラムを提供。本当にいいプログラムだと実感し、参加者の仕事と人生を3日間預かる重みを肌で感じて、これはとんでもないことになったと思いました。得るものがあったか先輩に問われ、「まだわからないし、とてもしんどいけれど自分の中で、物の見方、世の中の捉え方が確実に変わった」と、とりあえず伝えました。「これから、どうやって生きていくか」という30代の迷いへの渇きにも似た感覚が、このCEという仕事を通じてなんでも吸収していこうというがむしゃらさに変わっていきました。
40代、脇目もふらずに
CEのプロを目指してきた。
営業や社外との交渉には、それなりの自信も実績があった。しかし、CEとして真正面から向き合う社長の経営課題や事業課題に対しては経験も技術もまだ足りないことに、最初の3年間は「ちくしょう」という気持ちばかりでした。CESの品質向上のための定例ミーティング(クオリティ・ミーティング/QM)で、先輩CEから次々に指摘されることや提供される視点に「技術的にはできる」「言われてみればわかる」「それに自身で気がつけない悔しさ」の繰り返しでした。生来の負けず嫌いの気持ちに火がつき「1人のCEとして食っていけるようになる」ために、脇目もふらずにCEのプロを目指しました。40代、心が折れそうになることも何度もありましたが、先輩CEたちの「特別な才能とかセンスではなく、愚直な訓練で到達できる」という言葉が支えになりました。
プロとして「自由」で
「自立」できている自分がいる。
CEとして丸17年。4年目になってからようやく1人前のCEとして認められたなと思ってからも1社1社無我夢中でコツコツ向き合ってきました。いまだに、何年かやって一つ壁を超えたと思ったら、また新しい壁にぶつかることの連続。でも自分を信頼して賭けてくださる多くのお客様がいて、自分と同じように悩み苦しみながらもお客様のために一生懸命やっているCEの仲間たちがいる。CESという唯一無二の競争優位性を持ったサービスを実現するためには、楽な道なんてない。一流のプロを目指すには当たり前のことだと思うのです。どんなお客様にも、CEとしてプロとして、自分の言動に責任を持ち、リスクをとって率直に話すお付き合いができる。そういう自分でいられるようになったこの人生、なかなか悪くないもんだと思っています。