
|
|
|
|
規制緩和により、コンビニ、スーパーなど多様な業態の販売業者が参入し、市場原理に基づく激しい競争を繰り広げる酒販業界。一方で、中小企業が多い昔からの酒販業者の中には、事業から撤退する者も少なくない。 そんな中で、1995年に60億円だった売上高を2006年に630億円(見込み)へと急成長させている企業、それがカクヤスである。同社は、首都圏を中心に酒類・食品の業務用卸、酒類量販チェーン「なんでも酒やカクヤス」を展開している。創業は1921年。同社3代目の社長・佐藤順一氏は81年にカクヤス本店に入社したが、当時年商は8億円。都内で100社ほどある業務用酒販店の中で、中の上程度の位置でしかなかった。また、酒類卸の仕事は3Kの典型であり、モラールも決して高くなかった。 93年に社長に就任した佐藤氏がまず考えたことは、何とかカクヤスを家業から事業にすることだった。そのためにまず人材の採用に力を入れた。その後、当時台頭してきた業務用ディスカウントストアとの競合対策として、卸事業においても、ディスカウントストア並みの低価格を打ち出し、売上を年々倍増で伸ばしていた。 また、その当時カクヤスは卸部門で、顧客の注文にスピーディかつ柔軟に応える体制を可能にするSS(サテライトステーション)も展開中であった。低価格戦略にSSが加わったことにより、銀座、赤坂、六本木のシェアは伸びたが、それもしばらくすると頭打ちになった。そこで、新宿などカクヤスのシェアが低い他地域への進出が打ち出された。しかし、この戦略に幹部たちは難色を示した。 新宿を始めとする地域は銀座、赤坂、六本木とは明らかに商圏の性質が異なる。特に新宿は競争も激しく、配送、集金、与信管理トラブルといった面倒な問題も発生しやすい。社長という立場を使って新宿進出を強行しようと思えばできたかもしれないが、幹部たちの顔つきを見ていると、内部の機は熟していないと佐藤氏は直感的に感じた。 また、新宿に進出することは、父親である会長の代から親しく付き合ってきた同業者たちにケンカを売り、父親の顔に泥を塗ることにもなる。「そこまでして、大きくなる必要があるのか」「自分のやっていることは間違っていないか?」佐藤氏自身もなかなか答えが出し切れず、カクヤスの事業展開にブレーキがかかっていたのである。 |
![]() |
|
|
|
|
コミュニケーションエンジニアの桐岡は、社長との会話を通して、社長が、できることであれば、幹部や社員が自分と同じように事業を考え、一緒に事業を創造してくれるようになってもらいたいと思っていることを知った。 当時、業界の慣習を破ってシェアを伸ばすカクヤスは孤立し、一方で、経営ボードは、社長と対等な立場で議論を戦わせ、今後の事業について決定していくという状況にはなかった。
桐岡は、経営幹部たちと社長が、カクヤスの事業の強み、その背景にあるカクヤスの意思決定の基準、顧客や商品、競合といったものへの見方や思い、事業の強みを生み出してきたカクヤスらしい働き方などを、十分に時間をかけて話し合い、しっかりとした軸を固め、そこに相互信頼を確立することが先決だと考え、『経営者と企業を見るメガネプログラム』という研修を提案した。 |
|